自信と後悔-提出した卒論に思う

本日、提出締め切りより一日早く、卒業論文"A Study on Modification of Stative Predicates"を提出した。

 

正直なところ、あと一歩深められたなあと思う。論文としての体裁を整えただけで、いまいちやったことが最新の論文に対し文句をつけただけで、理論の定式化までできたんじゃないかと思いつつも、残された期間では到底間に合わないと判断してこの形で提出とした。

 

ただ一方で、そこまでやろうとする時間が今期の自分にとれたかと思うと無理だったような気がする。

 

この一年、学外活動に半ば強要され、使命感に縛られ、あるいは自ら進んで取り組んだ一年だった。納得のできる卒論に仕上げるにはそういう暇などないはずだが、正直卒論に時間を割いていいものを作ったところで将来稼げるようになるのか、学習会のマネジメントからキャリア教育まで来年から求められる多岐にわたるスキルを一つ一つ磨いた方がいいのではないかと思い続けていた。

 

しかし、提出した卒論を思うと、もっと良いものができたのではないかと思う。年始早々卒論提出だったため、それに引っ張られてそう思うだけなのかもしれないが。

 

これまでの自分の後悔は、全て「自分ならできたはずなのに諦めたのではないか」というところからきている。

 

その上、長期的な実利より一瞬の達成感を刹那的に追いたがる性格である。東大を浪人の時受けなかったことに対する後悔も、東大に行っていれば今持っていないなにかを得られたかもしれないという理由ではなく、東大に受かれば間違いなく得られたであろう爆発的な喜びを、味わう機会を自ら捨てたところにある。そしてそれは、浪人生活のなかでほぼ手中にしていたのだ。

 

その点、塾講師というのは良い商売である。学校にまともに教えてくれる先生がおらずどうしてもわからない、そういう小さく身近ながらもなかなかに難しいチャレンジに常に満ちている。だからこそ苦しいが、日々達成感(あるいはうまく説明できなかった落胆)を味わいながら、さらなる達成感を、さらなる生徒の笑顔を求めて日々専門分野と伝え方、英語屋の場合は二つまとめて「言葉の使い方」といえるだろうが、それを磨いていく。そうして結果の分だけ評価される。

 

なおかつ、生徒が目標、ほとんどの場合は志望校合格だが、達成できれば生徒と共に爆発的な喜びを分かち合えるのだ。

 

自分には研究職から外資のビジネスマン、官僚から普通の「先生」まで、「できる」仕事は多いと思うし、これらの仕事はやりたいと思った時期もある。人並み以上にはやっていけるとは思う。周囲に「なんで塾講師なんて」と中傷されることがその評価が独りよがりでないことを示しているといえるだろう。そう言われるたびに、自分の塾講師という決断を疑ってしまう。

 

9mm parabellum bulletの"Supernova"という楽曲に、こういう一節がある。

 

「何もかもを照らし出して粉々になっても

輝くため燃やしたもの忘れたりしないで」

 

捨てた未来、捨てた達成感という後悔に対する疼きを、中田永一の「くちびるに歌を」よろしく離さずに抱えて生きることで甘くて苦い今を生き抜く。「天才ゆえの苦悩」などと冗談半分に笑い飛ばすことなど到底できない。そういう生き方、そういう過去の捉え方しか私にはできないのだろうと、提出した卒論に思う。

 

そんな自分が、決して嫌いではない。